あまや座

茨城県那珂市瓜連あるミニシアター

アニエス・ヴァルダをもっと知るための3本の映画 / 2020年3月21日(土)〜4月3日(金)

アニエス・ヴァルダをもっと知るための3本の映画
『ラ・ポワント・クールト』

『ダゲール街の人々』
『アニエスによるヴァルダ』

『アニエスによるヴァルダ』
©️cine tamaris 2018
【上映日程】 ※水曜定休日 

3月21日(土)〜3月27日(金)19:15〜21:24
3月28日(土)〜4月3日(金)13:15〜15:19
2019年3月に他界したフランスの名匠アニエス・バルダの遺作となった作品。1955年製作の長編劇映画デビュー作「ラ・ポワント・クールト」から、数々の映画賞に輝いた前作「顔たち、ところどころ」まで、バルダ監督が自身の半世紀以上にわたる創作活動を情熱とユーモアあふれる口調で語り尽くし、貴重な映像とともに振り返った集大成的セルフポートレイト。飽くことのない好奇心と情熱をもって生涯現役を貫いた彼女の創作の秘密をひも解いていく。

2019年製作/119分/フランス
原題:Varda by Agnes
配給:ザジフィルムズ

『ラ・ポワント・クールト』
©️1994 AGNES VARDA ET ENDFANTS
【上映日程】 ※水曜定休日 

3月21日(土)、23(月)、26
(木)17:35〜19:05
3月28日(土)〜4月3日(金)10:05〜11:30
2019年3月に他界したフランスの名匠アニエス・バルダフランスの名匠アニエス・バルダ監督が1955年に手がけた長編劇映画デビュー作で、ヌーベルバーグの先駆的存在となった作品。南フランスの小さな漁村を舞台に、生まれ故郷に戻ってきた夫と、パリから彼を追って来た妻、終止符を打とうとしている一組の夫婦を描く。主演は「ニュー・シネマ・パラダイス」のフィリップ・ノワレと「双頭の鷲」のシルビア・モンフォール。アラン・レネが編集を担当。19年12月、バルダ監督の遺作となった「アニエスによるヴァルダ」を含む特集企画「アニエス・ヴァルダをもっと知るための3本の映画」で、日本劇場初公開。

1955年製作/80分/フランス
原題:La Pointe Courte
配給:ザジフィルムズ

『ダゲール街の人々』
©️1994 AGNES VARDA ET ENDFANTS
【上映日程】 ※水曜定休日 

3月22日(日)、24(火)、27(金)17:35〜19:04
3月28日(土)〜4月3日(金)11:40〜13:04
フランスを代表する名匠アニエス・バルダのドキュメンタリー作家としての代表作で、自身が事務所兼住居を構えるパリ14区のダゲール通りに暮らす人々の姿を捉えた作品。パリ14区、モンパルナスの一角にあるダゲール通り。銀板写真を発明した19世紀の発明家の名を冠したこの通りには、パン屋や肉屋、香水屋など様々な商店が立ち並ぶ。そんな下町の風景をこよなく愛したバルダ監督が、温かいまなざしと冷徹な観察眼をもって人々の姿を映し出す。19年12月、バルダ監督の遺作「アニエスによるヴァルダ」を含む特集企画「アニエス・ヴァルダをもっと知るための3本の映画」で、日本劇場初公開。

1975年製作/79分/西ドイツ・フランス合作
原題:Daguerreotypes
配給:ザジフィルムズ

アニエス・ヴァルダ Agnès Varda

1928年5月30日、ベルギー・ブリュッセル南部のイクセル地区に生まれる。ギリシャ人の父とフランス人の母を持ち、4人の兄弟と共に育った。第二次世界大戦中の1940年、母親の出身地である南仏の港町セートに家族で疎開、船上生活を送る。パリのソルボンヌ大学で文学と心理学を専攻した後、ルーヴル学院で美術史を、写真映画学校の夜間クラスで写真を学ぶ。1947年、俳優で舞台演出家のジャン・ヴィラールが創設したアヴィニヨン演劇祭の記録写真家としてジェラール・フィリップらを撮影。その後、ヴィラールが芸術監督を務める国立民衆劇場(TNP)の専属写真家も務める。1954年、当初小説にするつもりだった『ラ・ポワント・クールト』を26歳で自主制作する。映画自体あまり観たことがなかったヴァルダだったが、アラン・レネらのサポートのもと完成させる。思春期を過ごした南仏セートで撮影した本作は、ヌーヴェル・ヴァーグに先立つ先駆的な作品として評価され、ヴァルダが「ヌーヴェル・ヴァーグの祖母」と呼ばれるきっかけとなった。アニエス・ヴァルダ処女作から7年後の1961年に初の長編商業映画『5時から7時までのクレオ』を発表。翌年、映画監督のジャック・ドゥミと結婚する。1964年『幸福』でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。その後、ハリウッドに渡るドゥミに同行しヴァルダも渡米する。フランスに戻った1972年、ドゥミとの間に長男マチューを授かる。1975年、自宅兼事務所を構えるダゲール通りで『ダゲール街の人々』を撮影。子育てという制限がある中で、自宅からつないだ電源ケーブルが届く範囲内で撮影するという、逆転のひらめきから誕生した作品である。その翌年、フェミニズム運動を背景に、二人の女性を描いた『歌う女・歌わない女』を手掛け、1985年『冬の旅』でヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。アニエス・ヴァルダ1990年10月27日、闘病中だったドゥミが死去。『ジャック・ドゥミの少年期』の撮影終了から10日後のことだった。愛する夫の功績を残す活動をする一方で、1994年には、映画生誕100年を記念した映画『百一夜』を制作、2000年には『落穂拾い』でヨーロッパ映画賞等を受賞し、自身も精力的に活動する。そして2003年、写真家、映画作家に続く3つ目のキャリア“ビジュアル・アーティスト”としての活動を開始。ヴェネチア・ビエンナーレの「ユートピア・ステーション」でジャガイモをテーマにした「パタテュートピア」を発表。2006年には、カルティエ現代美術財団の依頼で、展覧会「島と彼女」を手掛ける。最愛の夫ドゥミと過ごした思い出深い島、ノワールムーティエをテーマにした数々のインスタレーションが展示された。2008年、『アニエスの浜辺』を発表し、セザール賞最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞。2015年にカンヌ国際映画祭名誉パルムドールを、2018年に米アカデミー賞名誉賞を受賞する。2017年に手掛けたフランス人アーティストJRとの共同監督作『顔たち、ところどころ』では、カンヌ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞、トロント国際映画祭観客賞など多数受賞。2019年、自身の60年以上に及ぶ創作の歴史を語りつくしたセルフ・ポートレイト『アニエスによるヴァルダ』を携え2月のベルリン国際映画祭に出席し元気な姿を見せるが、翌月の3月29日、パリの自宅兼事務所で息を引き取る。享年90歳と10ヶ月。

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