『急に具合が悪くなる』
【上映日程】 ※水曜定休日
7/18(土)、19(日)10:05〜13:31
7/20(月)〜7/24(金)12:00〜15:26
7/25(土)〜7/31(金)16:35〜20:01
※上映時刻が変更になる場合があります。ご来館前にご確認ください。
ご予約システムは2週間くらい前から可能となります。

「ドライブ・マイ・カー」「悪は存在しない」の濱口竜介監督が、パリを舞台に同じ名前の響きを持つ女性2人の魂の邂逅を描いたドラマ。がんの転移を経験しながら生き抜く哲学者・宮野真生子と、臨床現場の調査を積み重ねた人類学者・磯野真穂が交わした20通の往復書簡「急に具合が悪くなる」を原作に、偶然出会った2人の女性の交流と世界に対峙する姿を描き出す。
パリ郊外の介護施設「自由の庭」で施設長を務めるマリー=ルー・フォンテーヌは、入居者を人間らしくケアすることを理想としながらも、人手不足やスタッフの無理解に悩まされていた。そんな中、日本人の舞台演出家・森崎真理と出会ったマリー=ルーは、がん闘病中の彼女が描く演劇に勇気をもらう。同じ名前の響きを持つ偶然に導かれて交流を始める真理とマリー=ルーだったが、あるとき真理は急に具合が悪くなる。真理の病の進行とともに2人の関係は深まり、互いの魂を通わせ合うようになっていく。
「ベネデッタ」のビルジニー・エフィラがマリー=ルー、「ウルヴァリン:SAMURAI」などハリウッド映画にも出演する世界的ファッションモデルのTAOこと岡本多緒が真理を演じ、真理が演出する舞台の出演俳優・清宮吾朗役で「敵」の名優・長塚京三、吾朗の孫・窪寺智樹役で「見はらし世代」の注目若手俳優・黒崎煌代が共演。2026年・第79回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、ビルジニー・エフィラと岡本多緒がそろって女優賞を受賞。岡本は日本人で初のカンヌ国際映画祭女優賞受賞を果たした。
【出演】ビルジニー・エフィラ、岡本多緒、長塚京三、黒崎煌代
【監督】濱口竜介
2026年製作/196分/G/フランス・日本・ドイツ・ベルギー合作
配給:ビターズ・エンド
公式HP https://www.bitters.co.jp/soudain/
© 2026 Cinéfrance Studios – Arte France Cinéma – Office Shirous – Bitters End – Heimatfilm – Tarantula – Gapbusters – Same Player – Soudain JPN Partners



ガンで余命半年と宣告された舞台演出家の森崎真理が、パリ郊外の介護施設「自由の庭(Jardin de la Liberté)」の施設長マリー=ルー・フォンテーヌと出会うところから、この静かで密度の濃い物語は始まる。
森崎が演出した清宮吾朗の舞台をマリー=ルーが観劇し、深く心を揺さぶられたことが二人の交流のきっかけとなる。舞台を観終わった後の控室での会話から、互いの人生観や死生観が少しずつ交差し始める。ここでの日本語とフランス語が混ざり合うシーンは本当に印象的だった。言葉が通じない部分を、ジェスチャーや表情、間(ま)で埋めていく様子は、1980年代の東宝特撮『ガンヘッド』で英語と日本語が混在する独特のコミュニケーションを思い起こさせるほど、異文化の「すれ違いと響き合い」を美しく描いていた。
マリー=ルーが施設で推進しようとしているのは、「ユマニチュード(humanitude)」という知覚・感情・言語を通じた包括的なコミュニケーション技法だ。視線を合わせ、優しく触れ、穏やかな言葉で尊厳を保つ——高齢者や認知症患者との関わり方を根本から変える手法である。しかし現実の壁は厚い。予算の逼迫、介護士たちの「そんな悠長なことやってられるか」という無理解や疲弊、施設運営を縛る効率主義が、理想と現実の間で激しくぶつかり合う。マリー=ルーの孤軍奮闘と挫折が痛いほどリアルに映し出され、観る者に「理想だけでは回らない社会の冷たさ」を突きつける。
そんな中、森崎真理が黒板に図を書きながらマリー=ルーに語る「資本主義と少子高齢化」のシーンは、本作の知的ハイライトと言える。哲学に造詣の深い彼女らしい、冷徹でありながらもどこか詩的な説明。少子化が進む日本とフランス、労働力不足、介護現場の人手不足、経済効率が人間の尊厳を削っていく構造を、簡潔な図式で示す。あの瞬間、森崎は単なる余命宣告された患者ではなく、人生を深く読み解いてきた演出家として輝いていた。
ユマニチュードが少しずつ施設に根付き始め、希望の兆しが見えた矢先、森崎の病状は急激に悪化する。「急に具合が悪くなる」というタイトル通りの、容赦のない身体の崩壊。そして彼女は、自ら「自由の庭」で最期を迎えることを決断する。パリ郊外の穏やかな光が差し込む部屋で、森崎は言葉を失いながらも、マリー=ルーや周囲のスタッフたちと「ユマニチュード」の本質を体現するような最期を迎える。その静けさと、死にゆく者の尊厳が、観客の胸に重く、しかし温かく残る。
原作が宮野真生子さんと磯野真穂さんの往復書簡だという事実に納得した。書簡という形式が持つ「距離を越えた対話」の性質が、映画の核である「言葉と非言語の往還」「生と死の境界での交流」と見事に重なっている。
本作は、単なる「感動の介護映画」には決して収まらない。生と死、老人介護、認知症ケア、資本主義の限界、グローバル化の中で希薄化する人間関係——現代社会が抱える最も重いテーマを、真正面から、しかし決して説教臭くなく提示してくれる。ユマニチュードという具体的な技法を紹介しながらも、最終的に「技術だけでは救えない何か」を森崎の死を通じて問いかけてくる点が秀逸だ。
静かな余韻が長く残る、2020年代の日本映画としては異色とも言える知的で慈愛に満ちた一作。観終わった後、誰かとゆっくり話したくなる、そんな映画だった。
お金や成功だけでは測れない「人との出会い」や「触れ合い」の大切さを静かに描く一本。196分を感じさせない心地よい時間で、観終わったあと少し優しい気持ちになれる映画でした。
大げさかもしれませんが、この映画は多くの人に小さな希望を届けてくれる作品だと思います。